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テーマ |
内 容 |
著者 |
31 |
淀姫(ヨドヒメ) |
淀姫神社と乳母神社がある理由は、自らが神武天皇の直系の一族であるとの思いが込められている |
古川清久 |
30 |
周王朝から耶馬壹国 |
『魏志倭人伝』伊都国・奴国の官名「泄謨觚・柄渠觚・兕馬觚」それは周代の青銅の祭器と儀礼に起因するものだった。 |
古田史学の会
正木 裕 |
29 |
最近の考古学的発見
と九州王朝 |
我国には近畿天皇家に先行する王朝が存在した。 |
古田史学の会
正木 裕 |
28 |
永尾(エイノオ) |
谷川健一の「永尾(エイノオ)地名が古田武彦の「倭人も太平洋を渡った」を証明した。 |
古川清久 |
27 |
通古賀(トールコガ) |
通古賀はトウノコガと読むべきか? |
古川清久 |
26 |
苧扱川(オコンゴ) |
久留米にオコンゴが流れる。池町川はオコンゴウと呼ばれた・・・ |
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25 |
杵島(キシマ) |
佐賀県西南部の古代史重要ポイント |
古川清久 |
24 |
倭人も太平洋を渡った |
1万年前には太平洋を船で渡ったグループも出てきました。南米の九州縄文・弥生の土器 |
古田史学の会
大下隆司 |
23 |
太宰府は
日本の首都だった |
内倉武久による「九州倭国政権の存在から見た考古学上の重要遺跡」の掲載について |
掲載者
古川清久 |
22 |
田ノ浦(タウヌイ)Ⅱ |
中国電力上関町原発建設予定地の田ノ浦 |
古川清久 |
21 |
田ノ浦(タウヌイ)Ⅰ |
田ノ浦 “タウヌイ、カウヌイは大きな舟” |
古川清久 |
20 |
吾平(アイラ) |
吾平(アイラ)“神武が筑前から筑豊に東征する前はどこにいたのか? |
古川清久 |
19 |
二里の松原と
虹の松原 |
もとは、「二里ノ松原」とよばれたらしい |
古川清久 |
18 |
日本言語崩壊
「立ち上げる」 |
立ち上げる “「立ち上げる」の蔓延に見る日本の言語文化の崩壊”「立ち上げる」に違和感を抱かぬ愚か者! |
古川清久 |
17 |
雑餉隈
(ザッショノクマ) |
雑餉隈(ザッショノクマ)という古代の饗応処に関する作業仮説 |
古川清久 |
16 |
天皇は『仏教徒』か |
泉涌寺に天武系八代の位牌はない |
古川清久 |
15 |
徳王(とくおう) |
筑紫君 薩夜摩は肥後に落ちたか? |
古川清久 |
14 |
神武は日向から
東征したのか? |
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鶴田裕一 |
13 |
鳥子(トリコ) |
鳥子は俘囚移配の地か?八咫烏の末裔の地か? |
古川清久 |
12 |
塘(トモ) |
肥後限定の塘(トモ)地名は遠くアムステルダムまで繋がっていた! |
古川清久 |
11 |
馬門(マカド) |
大王の石棺は有明海から大村湾に船越された! |
古川清久 |
10 |
阿漕(アコギ) |
阿漕、赤穂、赤城…は南方性樹木アコウの茂る土地 |
古川清久 |
9 |
古代湖「茂賀の浦」
から狗奴国へ |
縄文から弥生に掛けて菊池山鹿盆地に巨大な湖があった |
中原 英 |
8 |
「有明海」はなかった |
「有明海」と言う名の海はなかった・・・/帝国海軍水路部と有明海 |
古川清久 |
7 |
八女と矢部 |
M音とB音が語る日本の古代
福岡県の南部、高良岬の南の南筑平野東部に八女の町がある。やめ の地名の語源は分からない。やめ の地名は全国でここにしかない。だから・・・ |
永井正範 |
6 |
釜蓋(カマブタ) |
民俗学者 谷川健一が発見した「永尾」(エイの尾)地名は南米エクアドルまで拡がっていた・・・ |
古川清久 |
5 |
原(ハル、バル) |
ハル、バルは九州限定の地名。ハラとハルは同じく原と表記されるが起源が全く異なる言語が偶然に原と表記されたもの・・・ |
古川清久 |
4 |
船越(フナコシ) |
田主丸の船越から沖縄、長崎、福岡の船越地名は実際に船越が行われた痕跡地名。また、大宰府の木材はいかに搬送されたか?・・・ |
古川清久 |
3 |
玉 来(タマライ) |
旧宝珠山村の玉来は九州中央部に多い狩猟地名・・・ |
古川清久 |
2 |
道目木(ドウメキ) |
ズウメキ、ザメキ、ゴウメキ、ドウメキ…は渓流の自然地名・・・ |
古川清久 |
1 |
苧扱川(オコンゴ) |
26に移動しました。 |
古川清久 |