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谷川の音が聞こえてくるような場所 |
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全国的にある地名ですが、福岡県では志摩町、直方市、杷木町、赤村・・・などにこの地名があります。長崎県の旧大瀬戸町、熊本県では黒川温泉と谷違いの南小国町の動馬喜、天草下島の旧本渡市の道目木など、すぐに多くのサンプリングができます。問題はその地名の意味です。
福岡県志摩町の道目木は現在、泉川の側に位置していますが、かつては付近の周船寺という地名が示すように、志摩町の島と古代の伊都国の間に流れる水道があったとされており、干満によって急流が流れる場所だったと思われます。
一方、天草下島の道目木は、現在、本渡市の水源としてダムに沈んでいますが、照葉樹の森を深く刻み込む急流の渓谷があったと思われ(これは現地に行けば、容易に推定がつきます)、洪水時には激流の音が鳴り響いていた場所である事が分かります。当然ながら他の道目木も同様です。
もう、お分かりでしょう。ウーと唸るウメク、オーと叫ぶオメク(佐賀県の西部地域ではワメクと同意)、ワーと騒ぐワメク、メクルメク、イロメク・・・といった動詞と言えますが(体言・副詞などに付いて、五段活用の動詞をつくる)、ワメキとなれば形容詞的用法にもなるでしょう。まず、一番近い意味はドヨメク(ドヨメキ)でしょう。ドウメクもドウメキも、ドウドウと谷川の音が聞こえてくるような場所に付けられる地名なのです。 |
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ざわざわとした声や音が聞えることをザワメキという。ザワは擬声で、メキは接尾語である。地名で、ザワメキ、ガラメキ、グルメキ、ドロメキなどというのは、小さい谷川の流れが、少し淀(ヨド)んでから急に落ち込んでいるところに名付けられている。川の水が狭く浅く流れているところが、ザワメキ、サワメキ、サラメキ、ゾウメキである。ドドメキ、ドーメキは、ドドと音がして水の落ちる所である。・・・ |
『語源をつきとめる』堀井令以知(講談社現代新書) |
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その他の道目木(ドウメキ)地名 |
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私がこのドウメキ地名に初めて接して興味を抱いたのは三十年近く前になります。現在は日田市になりましたが、旧前津江村で座目木(ザメキ)という地名に出くわした事がきっかけでした。地図で奇妙な地名が書かれていたので、不思議に思って近くまで歩いて行くと、稲刈り前の晩秋の畦道でザアザアと滝の音が聞こえてきました。その時、ザメキとはザアメク、ザワメク、ザーメク場所の事だと気付いたのでした。
これには、まだ多くの類型があります。いくつか例を上げてみましょう。
熊本県五木村の宮目木(グウメキ、ゴウメキ)、熊本県水俣市との境に近い鹿児島県大口市の川沿いを通る国道268号線の付近に五女木(ゴーメキ、ゴメキ)があります。これもゴウ、ゴーという音のする場所に付く地名という事になります。
その外にも、ズウメキ、ゾウメキ・・・がありますが、地図に載らないものがかなりあるようです。
大牟田市の高取山の南麓にドウメキ第二堤が見えます(現地未確認)。
直方市の上頓野の上頓野小学校そばに道目木という交差点があります(現地未確認)。
また、志摩町の泉川の出口に道目木があります。これは干拓が進む古い時代からの地名と思われ、海水が一気に払い出すときになどに大きな音がしたものと思われます。もちろん、上古、糸島は島であり、水道があったとされています。
柿で有名な杷木町志波の上流部の北川沿いに道目木があります。これなど典型的なドウメキ地名と言えます。また、筑豊の赤村の役場付近、今川沿いに道目木があります。
佐賀県では旧北波多村(現唐津市)岸山にドウメキという字があります(これには漢字表記がないようですのでこちらで取上げました)。カタカナ表記では、同じく佐賀県旧西有田町(現有田市)のJR佐世保線沿線にズウメキという字があります。
もちろん、その外にも原目木(熊本県の旧坂本村の球磨川そば)、防目木(長崎県島原半島の旧南有馬町)といった地名も拾えますが、これらは、むしろメキ地名とでも言うべきもので、原目木は球磨川が蛇行し湾曲して浜状に砂地の土地が膨らみ張り出す場所にありますので、原目木とは腹が膨らむ孕めく場所に付く地名なのです。一方、防目木は風の音がボー、ボウ聞こえるような場所のようにも思うのですが、これについては断定を避けておきます。古代人には犬の吠える声がビョ、ビョウなどと聞こえていたという話もありますので(『犬は「びょう」と鳴いていた』山口仲美)現段階では保留しておきます。
なお、千葉県富津市の百目木、栃木県喜連連川町の百目貫、福島県竹貴の百目鬼、岩手県軽米町の百目金、愛知県蒲郡の道目記・・・などもドウメキと呼ばれていますが、現地踏査をしていませんので紹介だけに留めます。メキ地名に拡大すれば、久留米市藤山町の湯埜楚付近にキロメキ池があります。まだまだありますが、ここまでにしておきます。
と、ここまで書いて原稿を上げたつもりでいたのですが、新たな発見によって書き足す必要が出てきました。
四月十二日、次のテーマとしての“玉来”(タマライ)地名の現地確認に小石原村(現東峰村)のフィールド・ワークに出掛けました。その目的の一つに、途中の杷木町志波の道目木地名の写真撮影もありました。前回、前々回は通過だけでしたが、今回、停車して現地を落ち着いて見てみると、やはり、北川がU字形に大きく曲がり流れ下る屈曲部に支流が合流する場所でした。
当然ながら、急流がぶつかり合う訳で、ドウメクのはあたりまえになります。深夜の大雨の時にはさぞかし大きな音が谷川にこだましていたことでしょう。
さて、再び“玉来”(タマライ)地名を目的に、現東峰村に車を進めます。近くまで行き、車を止めて、地元のおばさんに地名の呼び方を尋ねました。玉来は狙いどおり“タマライ”で良かったのですが、その手前に以前から気になっている地名があったのです。
“蔵貫”という地名に出くわしたのです。もちろん、事前に地図を見ていたのですが、その表記はボールド(bold)フェースになっていて、蔵責なのか蔵貴なのか分からずにいました。ところが、今回、「ゾウメキです」と簡明な答えが帰ってきました。つまり、これも旧前津江村の座目木(ザメキ)と同様の道目木地名だったのです。
ここにもバス停の横に大肥川が流れ、大量の水を下流の筑前夜明駅(ここは筑前となっていますが、もちろん日田市になります)付近に押し流しています。結局、“蔵貫”とはゾウメキ地名の苦心の二字表記だったことになる訳です。
現地は風化花崗岩質(真砂土)の土地であり、渓谷にも花崗岩がゴロゴロ転がっています。概して花崗岩の川は濁りが少なく、いつも清流があるといういう印象を持ちます。
日田彦山線の筑前岩屋駅付近も含めて、この東峰村一帯には日本昔話に出てくるような懐かしい風景が残されています。
また、付近には、多くの小石原焼の窯元が軒を並べています。皆さんも現地を訪れてみてはいかがでしょうか?地名を考えながら旅をすると楽しみがより立体的になります。
もしも、泊まってゆっくり楽しみたいと思えば、日田彦山線側の千代丸温泉の伊東屋が最適でしょう。ここは今でも安い値段で泊まれる宿として温泉通には著名です。この宿を拠点として蔵貫地名の確認に行って見てはいかがでしょうか?提案しておきます。
さて、甘木市の市街地に千代丸がありますが、この土地の人々はいつの時代かにこの東峰村の千代丸から移住進出してこられた方々の子孫ではないかと考えています。これは過去帖や姓名などを調べればある程度は分かるはずですが、まずは、フィールド・ワークによる現地聴き取りが必要でしょう。ともあれ、次回は、黒谷と蔵貫の間にある“玉来”(タマライ)地名の話をしたいと思います。道目木、蔵貫、玉来、千代丸…そして、彦山駅の“徳の渕”と甘木の“徳渕(トクノフチ)”、さらに私は八代の徳淵(トクノフチ)を睨んでいますが、面白いテーマがゴロゴロしています。 |
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▲ 旧杷木町志波の道目木バス停、裏には北川が右に流れる。 |
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▲ 旧小石原村の蔵貫バス停 |
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▲ 旧小石原村の蔵貫付近、左に大肥川が流れる。 |
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武雄市 古川 清久 |